安泉寺集合「三和町散策」
2023年7月2日
立田の三和地区を散策しよう
■立田の集落歩きのご案内です。 7月2日(日)の午前中です。
旧立田村は、2005年、平成の大合併で、2町2村が合併して、市になりました。愛西市です。愛知県の西にあるからということでしょうが、元の地域とは縁もゆかりも無い名前です。平成の大合併では、この類いの名付けがあちこちでありました。合併するときに、どちらの名前にするかで揉めたりで、それぞれの一文字をとって繋いでみたりというのもありました。
旧立田村ですが、江戸時代には、たくさんの村に分かれていました。木曽三川の下流域に位置しているので、川筋が変わったり、河川改修されたりで、村毎無くなったりしたこともありましたが、30を超える村がありました。その総石高は、1万7千石を超えていました。尾張63万石の内なので、大したことは無いとも言えますが、これだけでも、大名格です。 旧立田村は、全域が線引き都市計画区域で、全域市街化調整区域です。そして、国道も無ければ、鉄道もありません。ほぼ真っ平らで、稲作の田んぼと、蓮根の田んぼの中に、集落と畑が点在する…という感じの村でした。 この20年程で、人口構造が大きく変わってきています。世帯数は、世帯分離が進んだこともあって、統計では増えています。が、旧集落では、空き家や、単独世帯が増えています。 農村集落ではありますが、担い手がいなくなって農業を営めなくなっている家も多く、稲作の田んぼは預けてしまっているところも多くなっています。農地と、農家と、農業とが、一致しなくなっています。 かつては木曽三川の恵みを受けての豊かな農村が拡がる地域でした。経済高度成長期以降も、三大都市圏の一つである中京圏の中心都市である名古屋市という大都市の近郊にありながら、都市化することなく農村として生きて来ていました。 しかし、人口構造と産業の変化、そして、居住者の減少による集落共同体維持機能の衰退は著しいものがあります。これに対して、地域での暮らしの持続を図る方策は…と。
で、基礎的なデータ整理と、現地踏査から、村を見直してみようか、と。
7月2日(日)の午前中、9時から12時の予定です。蓮の花が咲き始める頃です。旧立田村の一部、今の三和町を歩きます。
朝9時、愛西市三和町中ノ割の安泉寺に集合。 電車でみえる方は、応相談。名鉄電車の駅でお迎えしますので、予めご連絡ください。
今の三和町は…江戸時代の田尻村、北条村、外大成村、内大成村。 1878年(明治11年) 又右衛門新田、船頭平村、松田村、富安村、鯉ヶ平村、小家村、下立田村、上立田村、和田村が合併し、立田村。 1878年(明治11年) 田尻村、北条村、外大成村、内大成村が合併し、「三ツ和村」。 1880年(明治13年)5月10日 三重県桑名郡の福原新田を愛知県海西郡が編入。 1889年(明治22年)10月1日 立田村、三ツ和村、福原新田村が合併し、立和村。 1906年(明治39年)、海西郡の早尾村、五会村、立和村、川治村、六ツ和村の一部が合併して海西郡立田村。 1913年(大正2年)に海西郡と海東郡が合併したことで海部郡立田村。 そして、2005年(平成17年)5月1日に、海部郡佐屋町、立田村、八開村、佐織町の2町2村が合併して愛西市。