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​安泉寺の歴史

 安泉寺の歴史は、正式には残ってはいないが、僧慶空により1581年(天正9年)12月20日に創立されたと伝えられている。また、別に昔は真言宗の寺であったが、親鸞聖人の教えに帰依し転派したとも伝えられている。

 寺宝の御影や絵像の裏書によれば、安泉寺は一時期、荷ノ上村(現在の弥富市五ノ三辺り)にあったことが分かる。水災によって避難したものと思われる。

 明治20年ころから始められた木曽三川大改修工事により大成村(現:三和町付近)の大部分が川底となって、村民は名古屋方面や桑名へ、また美濃方面へと分散移住していった。安泉寺も、十数戸と共に、大成村の飛び地で葦の雑草が生い茂る地(現在地)を埋め立て、土地を築き、移転をした。本堂は解体したまま堤防の上に残し、とりあえず庫裏を新築し、本尊を仮安置した。

 しかし、明治24年(1891年)10月28日、濃尾大地震が起こり、新築の庫裏は倒壊してしまった。

 この震災での惨事を乗り越え、本堂も再建され、大正4年(1915年)親鸞聖人の650回大御遠忌が行われた。

​ 昭和になってから火災により大きな危機に立たされたが、14・15代住職と檀信徒の努力で復興し、さらに山門と塀を新築し今日に至る。

歴代住職

開基  慶空(元和8年11月9日寂)

二代  慶誓(承応3年3月9日寂)

三代  慶西(正徳2年12月11日寂)

四代  慶順(享保3年8月29日寂)

五代  空暁(明和3年1月14日寂)

六代  恵原(享和2年3月20日寂)

七代  恵秀(寛政7年1月19日寂)

八代  慧賢(文化8年8月12日寂)

九代  慈恩(文化4年12月19日寂)

一〇代 慧静(安政7年7月27日寂)

一一代 法灌(明治3年11月26日寂)

一二代 東冥(大正4年12月29日寂)

一三代 正音(昭和49年5月6日寂)

一四代 界雄(平成25年5月8日寂)

一五代 美道(前住職)

​一六代 大悟(現住職)

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本堂

​​本尊:阿弥陀如来立像(中央)

親鸞聖人絵像(向かって右)

歴代住職絵像(向かって右奥)

蓮如上人絵像(向かって左)

聖徳太子絵像(向かって左奥)

七高僧絵像(向かって左奥)

​現在の本堂は、昭和51年の火災による焼失を経て、昭和55年に再建されました。

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鐘楼堂

鐘楼堂は安泉寺で現存する最古の建物になります。長い歴史の中で安泉寺の梵鐘を守り続けてきました。

毎朝5時50分や法要前には美しい鐘の音が地域に響き渡ります。

12月31日の除夜の鐘・東日本大震災(3月11日)追弔法要では、地域の方々も鐘楼堂にて梵鐘を鳴らすことが出来ます。

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​大成庄遺跡

京都にある東寺(教王護国寺)は、平安時代に弘法大師(空海)によって建立された東寺真言宗の総本山であり、金堂や五重塔などの建物は国宝でユネスコの世界文化遺産にもなっています。建物の他には膨大な数の仏像や、百合文書(ひゃくごうもんじょ)とよばれる古文書も国宝となっています。これは、ユネスコの世界記憶遺産候補となって注目されました。

​この古文書の中に「大成庄」という地名があります。これは、延暦5年(786年)にこの地は東寺の領地であり、「大成庄」という荘園でありました。この名を後世に継承すべく、14世住職「釈界雄」や地域の方々、檀信徒の尽力により安泉寺境内に石碑が建てられました。

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鎌倉仏

庫裏にあるお内仏に安置されている阿弥陀如来立像。

鎌倉時代に作成されたと言い伝えられております。細部まできめ細やかな仕上がりと、圧倒的な存在感は当時の技術の高さを感じることが出来ます。

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書院

​書院は、法要などの時の寺院控室や地域の打ち合わせ、会議、法事などの食事会場、休憩スペース、通夜・葬儀の時の親族の宿泊所など、様々な用途で使用できる多目的な場所となっております。食事であれば10名~20名程度まで対応可能です。宿泊は5名~10名程度は利用できます。利用のご希望はお気軽にご相談ください。

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​展示スペース

本堂と書院をつなぐ渡り廊下のスペースを活用して、地域の方々の作品を展示しています。

絵や写真、ちぎり絵、手作りの小物や模型など展示できる物であれば何でも大丈夫です。

展示をご希望の方はお気軽にお問合せ下さい。

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